みなさん、こんにちは。
今日も、羽根井・花田のことをブツブツつぶやいていきます。
今回のテーマは「羽根井小学校ってどうやってできたの?」です。
近日、小学校の入学式が終わり、新学期スタートしたようですね。
前回の羽田野敬雄氏の記事で、
彼が羽田八幡宮にて寺子屋「誦習学舎」を創設し、
教育がお盛んになった。そして、誦習学舎の精神が基となり、花田小ができ、
そこから分校する形で、現在の羽根井小になったという、
ザックリとした話(ものすごく雑な説明)をさせていただきました。
今回は、もう少し詳しく、かつザックリお話しします。
(結局ザックリか)
羽根井の教育のはじまり
そもそも、江戸時代から寺子屋があり、
そこで教育がなされていましたが、明治時代に入って、
国が「ひとりとして学がない子どもを作ってはならん!」とし、
全国に国が認める学校をつくることとなりました。
そこで現在の羽根井・花田(当時花ヶ崎村)も例にもれず、
「幡太(はた)学校」という小学校を開校しました。
このあたりの時期に、羽田野敬雄が、本学校に
「誦習学舎」の木額を贈った。
その後、幡太学校から「花ヶ崎学校」が分離しました。
これは、現在の中郷神社の北あたりにありました。
しかし、また幡太学校と花ヶ崎学校は合併しました。
その後、幡太学校から「三吉野学校」が分離しました。
これは、現在の吉田方小学校です。
その後、幡太学校は「花田尋常小学校」に改名し、
その後、花田小の児童が爆増し、
「羽根井尋常小学校」へと分離。
結果、現在の「羽根井小学校」と「花田小学校」が
できあがった、というわけです。
(かなり雑ですみません)
日本一健康優良学校を受賞
羽根井小学校が考案した「羽根井体操」というのがありました。
羽根井小学校は健康教育の研究を重ね実践してきました。
そのかいあって、昭和43年に、
「日本一健康優良学校」として表彰されました。
その後、勢いに乗ってきた羽根井小学校は、
「新しい世紀に生きる子どもの能力開発をめざして」
「泣くな おこるな 怠るな」という本を出版するなど、
斬新かつ先進的かつ情熱的な教育が町をあげてなされて行きました。
…昭和59年度には「人間のもつ可能性の開発、とくに考える力の育成を
目指す理科教育」の課題に対して研究論文に応募し、「ソニー優秀校」に
選ばれた。(わが町羽根井 P.162)
と、健康に加え、理科に特化した教育もなされてきました。
現在の学校教育目標の「体・徳・知」のうちふたつは、
この時期に発展したものだったのかもしれませんね。
そして、今の羽根井小学校
さて、そんな歴史をたどってきた羽根井小ですが、
現在はどのような教育がなされているでしょうか。
羽根井小学校のホームページにも載っています、
「グランドデザイン」という教育方針があります。
現在の本校の教訓が
「よく学び よく遊べ」。
その内訳が、
①強くたくましい子・体(泣くな)
②仲良くする子・徳(おこるな)
③進んで学ぶ子・知(怠るな)
となっており、
羽根井小学校がずっと研究してきた、
健康教育、理科教育が大きく影響しており、
また、その精神を今でも受け継いでいます。
現在の羽根井小学校は、
今までの歴史を丸々受け継いでおり、
培ってきた研究が存分に生かされている教育が
なされているのではないでしょうか。
まとめ
羽田八幡宮という宗教的文化、
羽田八幡宮文庫というアカデミックな文化を土壌に、
健康・心・知性の精神を基礎に学校教育をしている
羽根井小学校。
「新しい世紀に生きる子どもの能力開発をめざして」いる、
羽根井小学校。
これからの日本を背負って立ち、前線で戦う子どもたちが、
たくさん創出していくことが期待できるのではないでしょうか。
私たちショクサンも、羽根井・花田に根差し、
そのような子どもたちの「くらし」を支えていきたいと思います。
参考文献「わが町羽根井」「校区のあゆみ花田」「校区のあゆみ羽根井」